承前。当然のことだが「2月26日」の次は「7月12日」に注目する。期待に反して(4月12日〜7月14日の期間は)何も記されていない。賢崇寺法要に参列したことは、次の記述(慰労会参加)から推察できるのだが。
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●1968年7月18日(木)
『銀座“甚兵衛”で河野司氏慰労会。午後6時から。2時間位で閉会。ぶらりと大雅堂という書店に入ったら、今東光が入ってきた。もう早速に議員バッジをつけている。生臭坊主、うれしいのだなと思う。バカ気たことだ。』
●1968年9月4日(水)
『「ゲバラ日記」を買った。朝日新聞とみすず書房のが、並べて店頭にあった。みすずの方を買った。私は、ゲバラがすきである。』
●1968年10月24日(木)
『メキシコオリンピック体操女子個人優勝表彰式で、チェコのチャスラフスカが、チェコの国旗があがり、チェコの国歌が奏せられるのを聞きながら、こらえた涙が落ちるのがテレビ画面にも、はっきり見とれた。ソ連に抗議して追放された愛国者の涙である。美女チャスラフスカも美しい、涙も美しい。
三島由紀夫さんから、三島さん自作のミュージカル公演の招待状を送ってきた。』
●1968年10月27日(日)
『三島由紀夫作のバレエ「ミランダ」を日生劇場でみる。三島市の招待である。終わって、霞ヶ関ビル35階のレストランで夕食の御馳走になる。三島氏御両親、伊沢氏も一緒。三島氏の両親との仲むつまじさが微笑ましかった。
「ミランダ」は、明治百年記念芸術祭特別公演とのこと。バレエとしては日本だけのことだが画期的な催しという。が、バレエをみたのは初めてだから観賞の眼はない。むしろバレエはみず、三島氏の好意をみたというべきだろう。』
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先日、ウオーキング途中に立寄った「紀伊国屋書店・浦和パルコ店」に、ムック「別冊太陽」がズラリと並べられていた。
「三島由紀夫」を手にとり目次をチェック。三島由紀夫氏は“対談の名手”でもあって、300人以上(正確な数字をメモしたのだが)と対談したという。
300人以上の名前が、年度別にリストアップされている。勿論「末松太平」も載っている。対談「三島由紀夫×末松太平」が掲載されたのは、学燈社「伝統と現代」1968年9月号。対談のタイトルは「軍隊を語る」である。(末松)
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●1968年7月18日(木)
『銀座“甚兵衛”で河野司氏慰労会。午後6時から。2時間位で閉会。ぶらりと大雅堂という書店に入ったら、今東光が入ってきた。もう早速に議員バッジをつけている。生臭坊主、うれしいのだなと思う。バカ気たことだ。』
●1968年9月4日(水)
『「ゲバラ日記」を買った。朝日新聞とみすず書房のが、並べて店頭にあった。みすずの方を買った。私は、ゲバラがすきである。』
●1968年10月24日(木)
『メキシコオリンピック体操女子個人優勝表彰式で、チェコのチャスラフスカが、チェコの国旗があがり、チェコの国歌が奏せられるのを聞きながら、こらえた涙が落ちるのがテレビ画面にも、はっきり見とれた。ソ連に抗議して追放された愛国者の涙である。美女チャスラフスカも美しい、涙も美しい。
三島由紀夫さんから、三島さん自作のミュージカル公演の招待状を送ってきた。』
●1968年10月27日(日)
『三島由紀夫作のバレエ「ミランダ」を日生劇場でみる。三島市の招待である。終わって、霞ヶ関ビル35階のレストランで夕食の御馳走になる。三島氏御両親、伊沢氏も一緒。三島氏の両親との仲むつまじさが微笑ましかった。
「ミランダ」は、明治百年記念芸術祭特別公演とのこと。バレエとしては日本だけのことだが画期的な催しという。が、バレエをみたのは初めてだから観賞の眼はない。むしろバレエはみず、三島氏の好意をみたというべきだろう。』
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先日、ウオーキング途中に立寄った「紀伊国屋書店・浦和パルコ店」に、ムック「別冊太陽」がズラリと並べられていた。
「三島由紀夫」を手にとり目次をチェック。三島由紀夫氏は“対談の名手”でもあって、300人以上(正確な数字をメモしたのだが)と対談したという。
300人以上の名前が、年度別にリストアップされている。勿論「末松太平」も載っている。対談「三島由紀夫×末松太平」が掲載されたのは、学燈社「伝統と現代」1968年9月号。対談のタイトルは「軍隊を語る」である。(末松)