
東京は、4日連続の猛暑日である。こういう日は、古い日記帳を手繰るよりも、爽やかな彩りの封筒を開く方が楽しい。
画像参照。1992年9月28日付の消印のある封書は「20歳を幾つか過ぎた女性」から、末松太平(当時86歳)宛に届いたものである。
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『拝啓 秋が駆け足でやって参りまして肌寒いながらも心地よい日々が続いておりなすが、そんな夜に不躾ながらも御面識なく御手紙を差し上げることを御許し下さい。
この夏、末松さんの「私の昭和史」を拝読させて頂きました。それで勝手ながら、仏心会の河野さんから御住所を御聞きし、こうして御手紙を書かせて頂いています。
以前より「私の昭和史」の存在は知っておりましたが、初版が昭和30年代なのでもう手に入らないだろうと勝手に解釈してましたので、拝読するのが遅くなってしまいました。
「私の昭和史」は淡々とした文章の中で、常に事実を公平に見ていらっしゃるので真実がより真実を語っていると思われました。また2・26事件に話が集中しておりませんでしたので、当時の幅広い勉強にもさせて頂きました。満州の話は特に新鮮でした。満州という国は とかく戦後ではタブーですので余り深く知る事もありませんでしたので、改めて満州という国の意義を御聞きしたいくらいです。
それから 11月20日事件に関する記述ですが、「私の昭和史」の中での辻大尉への抗議文は今後、様々な資料を読む上での指針になりました。辻大尉はやはり自ら進んであの事件を企画したのでしょうか。候補生の為思ってとよく本にありますが、策に乗せられた武藤候補生の行く末など考えていたのでしょうか。本当に許し難いと思います。
また、事件関係者の方の横顔もこの本で見たような気がします。栗原中尉が十月事件の頃は影が薄かったというのも意外でした。渋川さんに関する事は余り知りませんでしたのでその魅力に驚き、もう御会いする事が出来ないのは至極残念でたまりません。
2・26事件の蹶起時の地方連隊の動きも参考になりました。よく首都での話は本などで知ることは出来るのですが、地方の話は余り分りませんでした。地方の民間の方はどうなのでしょうか。やはり何も知らずじまいなのでしょうか。当時九州にいた祖父に聞いても、新聞発表以外の事は知らない様ですし、末松さんのいらっしゃった東北でも民間は何も知らないんでしょうか。私は他の誰よりも民間の方々に事件の意義や真実を知ってもらいたかったと思いますし、それは今の世でもそう思います。映画等で彼らの行動のみを美しいと賛美していますが、その賛美は何か事件から遠く離れた事の様で何か寂しい気がします。無論、あの行動は誰でもとれるものではありませんが、もっと奥に横たわるものの方がずっと大切な気がします。末松さんの文章力の素晴らしさで 平成の世に紐解いた私ですが、昭和の初めがつい昨日の事の様に思え、当時の青年将校の方々の奥に横たわっていたものに触れた様な気がします。
私の様な20歳を幾つか過ぎた者が、好き勝手に書き連ね、本当に心苦しい限りです。伺いました所、末松さんの知名度を利用して近付いて勝手な事をされる方もいらっしゃるそうですが、そのつもりは全くありません。ここ数年、2月と7月には賢崇寺に伺っておりますが、お目にかかれない事を残念に思ってます。
もし、機会がありましたら、お話を承りたいと思っております。勝手な事ばかり申し上げて申し訳ありません。私はまだまだ勉強不足ですが、これからも少しづつ勉強して行こうと思います。
それから蛇足ですが、「私の昭和史」の中での末松大尉を見習って勤務態度も参考にさせて頂いております。
これから徐々に肌冷くなって行きますが、どうぞ御躰を御自愛下さい。面識もなく御手紙を差し上げ失礼をしたこともお許し下さい。敬具。(氏名・住所・電話番号)』
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あえて、消印の郵便局名を伏せて文面を紹介したが、この封書は「防衛庁内」から送られている。若き女性自衛官からの手紙だったと知れば、皆様も「末松大尉を見習って勤務態度も」という表現が、微笑ましく感じるだろう。
この手紙を末松太平が「読めなかった」と思うのは、半盲目状態の末松太平には“細かい文字は読めない”こともあるが、それよりも「逝去=1993年1月17日」間際という点からの推察である。1992年7月25日に開催された「米寿を祝う会」の写真(山田恵久氏撮影)が手元にあるが、末松太平の衰弱ぶりは凄まじい。7月で“この状態”では、9月に届いた手紙が読める筈はない。因みに「米寿を祝う会」に末松夫妻を招いたのは、相澤正彦氏、田々宮英太郎氏、山口富永氏、今澤栄三郎氏、山田恵久氏、今泉章利氏の6氏である。晩年の人間関係を伝える資料として御名前を記しておく。

画像参照。家人が親しくしている御近所のご婦人から、堀越二郎・奥宮正武著「零戦」朝日ソノラマ文庫版を預かってきた。私に読んで欲しいとのことである。この本は、先ず昭和27年に刊行され、昭和50年に新装版が刊行されていて、文庫版(拝借した本)の初版発行は昭和57年2月になっている。文庫版の帯封には「幻の名著を再び文庫版で…!」と記されている。
“宮崎駿監督作品「風立ちぬ」スタジオジブリ作品=7月20日(土)全国ロードショー”の影響で、堀越二郎氏(零戦の設計者=映画の主人公)が脚光を浴びている。そして、堀越二郎氏(明治36年〜昭和57年)の御長男は、サンシティ(私が在住する大規模マンション群)にお住いという。御近所のご婦人に“日本テレビ「笑ってこらえて」7月10日放送を見て”と連絡された。番組は映画「風立ちぬ」の特集で、堀越氏の御長男も登場していた。
私は「戦記物」の類には全く興味がないのだが、御近所付合いのマナーとして「零戦」を読まないわけにはいかないだろう。逆に言えば、家人が親しい方々に謹呈した中公文庫「私の昭和史」も、同じようなことだっただろうと思う。(末松)