築地本願寺、麻布賢崇寺・・・。それぞれの御本尊と向き合う時間を二日続きで体験した。
築地本願寺では 千葉市営平和霊園(墓じまい)から築地本願寺共同墓地への移転に関わるあれやこれや・・・。
麻布賢崇寺では 新しい局面(遺族だけでの法要)に関わるあれやこれや・・・。
心奥を去来した《あれやこれや》は総て《終結》に関わる事柄で、85歳寸前の老人には当然のことだと、この時点では自覚していた。
そして 終結意識を抱きながらも「千葉高三四会(最後の)集い」に参加。心に響く一句と出会うこととなった。
◎余生でも晩年でもなし去年今年(塙誠一郎)。
・・・《句集「家系図」2022年10月22日・ふらんす堂刊。3080円》から転載。
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◎千葉高三四会の集いのお知らせ。
三四会の皆様におかれましては元気に、日々お過ごしのことと拝察いたします。
この度 八十有余年がんばって来た三四会の同期がお互いにお祝いする「三四会の集い」を開催いたします。
ひょっとすると最後の「三四会の集い」になるかも知れないので、万難を排し奮ってご参加下さい。
・令和7年3月1日(土)12時~。
・ホテルポートプラザちば。2Fルビー。
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◎余生でも晩年でもなし去年今年(塙誠一郎)。
塙氏略歴=1941年(昭和16)本郷生まれ。大手損保会社に勤務。2001年(平成13)作句開始。2006年(平成18)「沖」入会、能村研三氏に師事。沖同人会副会長。
「昨年後半から急に句集を上梓したいという気持が起こったのは、高校時代からの畏友・伊藤アキラ君が、2021年5月に急逝したことに因ります。(後略)」=句集「家系図」の「あとがき」から抜粋。
塙氏が「あとがき」に記した「高校時代からの畏友・伊藤アキラ君」のことは、私自身も当ブログに記している。
「◎伊藤アキラ氏(作詞家)追悼/かもめが翔んだ日◎」2021年5月22日掲載。
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遡って読み返していただく訳にもいかないので、当時掲載した写真だけを再掲しておく。
左写真=三木鶏郎先生を偲ぶ会。大森昭男(音楽プロデューサー)氏、伊藤アキラ(作詞家)氏、そして私(広告会社CMディレクター)。
右写真=千葉一高の学園祭。某(高二)クン、伊藤晧(高三)クン、某(高二)クン、そして私(高三)。
塙誠一郎氏とは「千葉市立緑中学校・1年生」の時だけ《同じクラス》にいた。小学校時代は別々の学区だったし、高校進学後も別々のクラスにいた。優等生と問題児・・・学園ドラマに例えれば、こういう配役になる。
そして今、終結を意識する「元問題児」は、「元優等生」の「余生でも晩年でもない」という言葉に、影響を受けていて・・・。
「千葉高三四会」とは、昭和34年3月に千葉高(当時は千葉一高)を卒業した約360人の会である。
前回の「集い」は 2016(平成28)年に開催。57名+恩師2名が出席した。そして 今回までの約8年で「57名中の6名」が逝去した。
今回の出席者=39名。果たして「次」はあるのだろうか。数年間に何人逝去するのか。判断基準は明快である。(末松建比古)
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築地本願寺では 千葉市営平和霊園(墓じまい)から築地本願寺共同墓地への移転に関わるあれやこれや・・・。
麻布賢崇寺では 新しい局面(遺族だけでの法要)に関わるあれやこれや・・・。
心奥を去来した《あれやこれや》は総て《終結》に関わる事柄で、85歳寸前の老人には当然のことだと、この時点では自覚していた。
そして 終結意識を抱きながらも「千葉高三四会(最後の)集い」に参加。心に響く一句と出会うこととなった。
◎余生でも晩年でもなし去年今年(塙誠一郎)。
・・・《句集「家系図」2022年10月22日・ふらんす堂刊。3080円》から転載。

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◎千葉高三四会の集いのお知らせ。
三四会の皆様におかれましては元気に、日々お過ごしのことと拝察いたします。
この度 八十有余年がんばって来た三四会の同期がお互いにお祝いする「三四会の集い」を開催いたします。
ひょっとすると最後の「三四会の集い」になるかも知れないので、万難を排し奮ってご参加下さい。
・令和7年3月1日(土)12時~。
・ホテルポートプラザちば。2Fルビー。
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◎余生でも晩年でもなし去年今年(塙誠一郎)。
塙氏略歴=1941年(昭和16)本郷生まれ。大手損保会社に勤務。2001年(平成13)作句開始。2006年(平成18)「沖」入会、能村研三氏に師事。沖同人会副会長。
「昨年後半から急に句集を上梓したいという気持が起こったのは、高校時代からの畏友・伊藤アキラ君が、2021年5月に急逝したことに因ります。(後略)」=句集「家系図」の「あとがき」から抜粋。
塙氏が「あとがき」に記した「高校時代からの畏友・伊藤アキラ君」のことは、私自身も当ブログに記している。
「◎伊藤アキラ氏(作詞家)追悼/かもめが翔んだ日◎」2021年5月22日掲載。


遡って読み返していただく訳にもいかないので、当時掲載した写真だけを再掲しておく。
左写真=三木鶏郎先生を偲ぶ会。大森昭男(音楽プロデューサー)氏、伊藤アキラ(作詞家)氏、そして私(広告会社CMディレクター)。
右写真=千葉一高の学園祭。某(高二)クン、伊藤晧(高三)クン、某(高二)クン、そして私(高三)。
塙誠一郎氏とは「千葉市立緑中学校・1年生」の時だけ《同じクラス》にいた。小学校時代は別々の学区だったし、高校進学後も別々のクラスにいた。優等生と問題児・・・学園ドラマに例えれば、こういう配役になる。
そして今、終結を意識する「元問題児」は、「元優等生」の「余生でも晩年でもない」という言葉に、影響を受けていて・・・。
「千葉高三四会」とは、昭和34年3月に千葉高(当時は千葉一高)を卒業した約360人の会である。
前回の「集い」は 2016(平成28)年に開催。57名+恩師2名が出席した。そして 今回までの約8年で「57名中の6名」が逝去した。
今回の出席者=39名。果たして「次」はあるのだろうか。数年間に何人逝去するのか。判断基準は明快である。(末松建比古)
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