
雑誌「理想日本」昭和17年9月号。
巻頭言「満州事変十一周年」の冒頭部分を、少しだけ紹介しておく。
原本の破損崩壊を少しでも遅らせるために、転載作業は慎むしかない。ほんの一部分の紹介だが、ご容赦いただきたい。
『昭和六年夏、張学良隷下の一兵営下士官室の小黒板に、
今日ハ火曜日ダ
八月十五日ニナッタラ
小日本鬼 射撃
と落書してあった。
日本軍に占領されたときまで、これは消されずに残ってゐた。
同じ年、旅長王以哲は、九月十九日午前二時緊急集合、と予め命令しておいた。
満州事変の発端は、いふまでもなく九月十八日午後十時三十分の銃声である。』
以下省略。
因みに、題名上のカット(イラスト)も、末松太平が描いている。
末松太平の「満州出征」は、昭和6年11月(1932年=当時26歳)のことである。
出征の際に、西田税氏から200円の餞別を戴き、東京駅では、井上日召氏、四元義隆氏、渋川善助氏の見送りを受けている。
昭和7年の「血盟団事件」と「五・一五事件」を、末松太平中尉は満州の地で知ることになる。
昭和9年(1934年)に満州から凱旋帰国。帰国途中に、在満中の菅波三郎中尉と新京で逢っている。(末松)