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Channel: ◎末松太平事務所(二・二六事件異聞)◎ 
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◎相澤中佐の遺墨について

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「相澤中佐の遺墨が、ネットで取引されていた」
思わずムムムと唸ってしまう情報を「江翠様」に教えていただいた。感謝感謝である。
(註●詳しいことは「推奨・実録真相相沢事件」に寄せられたコメントをお読みいただきたい。)

画像参照。3本の筒には、相澤中佐と渋川善助氏の遺墨(の数々)が納められている。現在は「末松太平の居た家=千葉市登戸5丁目」に保管しているが、近い将来に“何らかの対策”に迫られることになるだろう。村中孝次氏たちの遺墨についても、同様の課題である。
相沢様、渋川様と、筒に記されているのは「末松敏子」の筆跡である。末松太平の遺品(大量の資料類)を、どのように扱えば良いのか判らずに、整理だけはしておこうという気持が筆跡から窺われる。



相澤中佐の遺墨に関連して、余談を少々。
鬼頭春樹著「実録相沢事件」には“不思議な印象”を与える箇所がある。先ずは233頁。
「孫の志村孚城は、《書を見せてほしい》との申し出に、《尊王絶対は好きでありませんね》と笑って答えた。《モダンボーイ》には似つかわしくないと・・・」
志村氏は「笑って見せた」のか、それとも「笑って見せなかった」のか。気になるところである。

余談ついでに記せば、110頁にも“不思議な印象”を与える箇所がある。
「こう回想するのは志村孚城(現在72)。相沢の長女、のぶ子(15)の長男で、幼少から麻布賢崇寺での法要に手を引かれて出席する」
目次の次頁に「登場人物の年齢は、特に断りがない限り、昭和10年の相沢事件発生時の満年齢で記載した」と書かれてはいるが、それでも「のぶ子(15)の長男」と書かれると、一瞬「15歳の母?」と驚いてしまう。
のぶ子さんが志村陸城中尉と結婚したのは、かなり先のことである。そして「幼少から法要に手を引かれて」は、さらに先の話である。
「志村は戦後、平和になった時代に鷺沼の自宅でよね子未亡人を囲んで、ショパン『幻想即興曲』のレコードを蓄音機で聞いた時の甘美な光景をはっきりと覚えている」
この「鷺沼の自宅」という記述も“不思議な印象”のひとつである。戸惑いを招く。宮城県に疎開していた“相澤ご一家”の帰京後のエピソードだが、鷺沼(相澤邸)には「志村氏ご一家」も同居したのだろうか。
前回に「相澤家の留守宅=梁山泊」を紹介している私にとって、これもまた、気になることである。(末松)

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