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Channel: ◎末松太平事務所(二・二六事件異聞)◎ 
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◎「新版/年表・末松太平」/(31)証言・昭和維新運動◎

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《「年表・末松太平」1976(昭和51)年。/末松太平=70歳~71歳。私=35歳~36歳。》
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◎1976年。《河野司著「私の二・二六事件」河出書房新社刊》。
・・・《末松太平「有馬頼義の『二・二六事件の目撃者』について」》が掲載されている。

◎息子(私)の推察/この頃より、何となく「衰退期」を自覚しはじめたのではないか。
・・・正月に撮影した家族写真の末松太平は、カメラから視線を逸らしている。
・・・これから後の写真でも 何故か「目を伏せ、斜め左下を向く」ようになるのである。

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《「年表・末松太平」1977(昭和52)年。/末松太平=71歳~72歳/私=36~37才。》
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◎《島津書房「証言・昭和維新運動」1977年2月5日刊》に「二・二六事件/末松太平氏に聞く」が掲載さる。
・・・この書籍の「第1部」には、末松太平など7人が登場している。
・・・これは各人の「証言・私の昭和維新」として「やまと新聞」の昭和49年9月11日~11月12日に連載したものに、若干の追記を補足し修正している。
 末松太平の肩書は「ベストン㈱役員」である。私(62歳で年金生活者)に比べて「エライと」思う。
★関連資料★・・・・・・・・・・
《長谷川義正による、本書の解説。》
「昭和史の大きなエポックとなった二・二六事件は、今日おびただしい資料証言の洪水であるが、どこまで漁っても何故かむなしい。末松(私の昭和史)は、この難問を冷静に叙事する仕事をになってくれた存在である。/『日本の自然天壌を守るのに右翼も左翼もない』という内容の発言をし『今の右翼は何故、公害問題を取り上げて戦わないのか』と指摘する末松の、一見錯雑するかに思えて、もっとも端的な言葉に、昔と今を総括した土着の意見が見えるのではないか。そういう気がする」

◎1977年。雑誌「第三文明」8月号。「対談・右翼と左翼のあいだ」末松太平・秋山清。
・・・秋山清は無政府主義者の詩人。右翼が末松、左翼が秋山という「役割」の対談。この二人は福岡県門司の出身、小倉中学時代の同級生である。
・・・それにしても、三度目の「第三文明」登場である。創価学会系の編集部は(末松の)どの部分に関心を抱いたのであろうか。



◎写真は、賢崇寺の法要で「挨拶」する末松太平。
・・・祭壇に向って(遺族席は左側)右側が事件関係者の席。ギッシリ埋まっているのが「凄い」と思う。
・・・ここから「約30年」が過ぎて、2006年の2月26日。事件関係者席には、北島伍長、今泉少尉の次男、末松大尉の長男(私)、僅か3人だけが坐っていた。

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