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Channel: ◎末松太平事務所(二・二六事件異聞)◎ 
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◎「新版/年表・末松太平」/(29)『右翼』と呼ばれて?◎

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《「年表・末松太平」1973(昭和48)年。末松太平=67歳~68歳/私=32~33才。》
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◎1973年2月26日「二・二六事件全殉難者38回忌法要」。
…「法要」に、賀陽恒憲氏(元皇族陸軍中将)が参列。
★関連資料★・・・・・・・・・・
《河野司著「ある遺族の二・二六事件」1982年・河出書房新社刊。》
「仏心会の歴史創立以来、初めてのことである。三十余年のこれまで、重臣、政府要人はもとより、国会議員さえ出席することのなかった、いわば日陰の法要に、この元皇族である賀陽氏の参列には、遺族、参列者一同、感激のうちにお迎えした。」
「村中夫人も名古屋から上京し、賀陽氏(事件前から親交があった)との対面に、感激の追憶談に瞳を潤す光景は、傍目にも涙を誘った。」

◎「日本読書新聞」1973年2月8日号。「わが町・わが本」に「書評」を寄稿。
・・・タイトルは「反『八甲田死の彷徨』の風土」。新田次郎作品への反発である。
・・・その後、大和書房「軍隊と戦後のなかで」に所収されている。



◎1973年2月22日。「田無ロータリークラブ」に招かれ「話」をする。
・・・「話」とは「二・二六事件の話」のことである。
・・・この日、末松太平は《ポール・ハリソン著「ロータリー・エイジ」米山梅吉訳》を寄贈し、色紙に絵を描くことを頼まれる。
★関連資料★・・・・・・・・・・
《末松太平の「遺品」から。/1973年2月22日の日記。》
「米山梅吉訳『ロータリー・エイジ』は、昭和11年5月刊行で、巻頭に故・斉藤実への献辞がある。齋藤実はロータリー・クラブの大後援者だったという。二・二六事件後、三ヶ月目にこの本が刊行され、齋藤実への献辞があるということは『逆縁』ながら、事件と本とは縁があるということである。寄贈した本は、ポール・ハリソンの初版本で稀覯本らしい。全国で三冊とないだろうという。戦争中に古本屋で買ったものである」。



◎1973年2月27日。東京12CH(現在はテレビ東京)「私の昭和史」に出演する。
★関連資料★・・・・・・・・・・
《末松太平の「遺品」から。/1973年2月27日の日記。》
「12チャンネルで『私の昭和史』番組で録画。北一輝の日本改造法案と青年将校というのである。/出演料一万円貰う。税引きで九千円。約束だから田鶴子、行子の女性に千円ずつやる。和子さんにも不公平だからやる。女房も女性だから千円。結局受取りは五千円となった。」

◎この頃の末松太平は、若い学者の「現代史研究」に、資料提供や助言協力をする機会が増えていた。
●例1/1971年「東京都立大学法学会雑誌・12巻第1号(十月事件)」。
●例2/1973年「白山史学・第17号(橘孝三郎と五・一五事件)」。 
・・・若き松本健一氏の「お相手」をしていたのも、この頃だったのかも知れない。

◎1973年4月27日の「記念日」に発行した「全日本愛国者団体会議・十五周年運動史」
・・・役員名の「相談役」に22名が連記されているが、何故か(!)末松太平の名前もある。
・・・「全日本愛国者団体会議は、滅共と皇道・維新の断行を二大綱領とする」と銘記されてあった。

◎1973年5月。長男(つまり私)は、再び福岡に転勤。
・・・今回は「左遷」ではなく、会社に恩を着せ、2年間限定など諸条件を承認させた「右遷」であった。

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